空が満ちる時



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エピソード0


 いつもは人がそれなりに通るはずのT字路には、今は誰の姿もなかった。
 たった一人、分かれ道で立ち止まってそれを見る。
 葛藤かっとうによってだいぶ長い時間、おそらくは五分ほどじっとしていたと思うが、その間に人が来ることはなかった。
「ミャア」
 ネコというのはそんな風に鳴くことは少ないと思いながら、甘えた声を出すそいつを見つめる。
 白だ。白猫だ。どう見ようと白一色だ。
 まだ子猫のそいつは、生まれてから少しは経っているらしく目もパッチリしているがいかんせん、捨て猫だった。このままでは持って数日だろう。下手をすれば今日か明日にも死ぬ。
 まず、段ボールにこれでもかと言うほど毛布がし敷かれているが、そんなものは気休めにしかならない。今は二月。夜の寒さはまだまだ続いている。体をまだ震わせていないところを見ると今日、捨てられたばかりなのだろう。
「ニャア」
 子猫が不意に少しだけ別の鳴き方をする。ここに来てからずっとこんな風にかまってほしいという態度を示している。
 ここで幸いと言うべきか、もし拾われていきなりミルクを与えらても、下痢や嘔吐おうとをするといった心配はしなくて良いかもしれないほどには大きくなっている。子猫にはミルクを消化する――乳酸菌だったか?――力がない。よく間違われがちだが小さいのには何でもかんでもミルクを与えれば良いというわけではないのだ。
「フミャア」
 またまた子猫が鳴き声を上げる。知らぬうちに鳴き芸という物を仕込んでしまったかもしれない。そんな、思わず微笑んでしまうようなことを不覚にも考えてしまう。
「ミャニャア」
 やはりというか、敏感にその雰囲気を感じ取られてしまい、子猫は嬉しそうに更なる技を披露ひろうする。
 ポテン、ポテンと段ボールの中で愛らしさ満点の動きをし、どう? とこちらを無垢な眼差しで見る。
 その様子に堪えられるはずもなく、今一度周りを見渡して人っ子一人いないことを確認してからむんずと首根っこを掴み、持ち上げる。当然の如く首皮が伸びる。別にこれが正しい持ち方というわけではないが、女子に酷いと言われるようなほど悪い持ち方でもない。
 ネコは幼少の時、親猫に甘噛みで首をくわえられるからだ。もちろん、この子猫も類に漏れず、ちゃんと問題なく引っ張り上げることができた。
「ミュニュア」
 それでも驚いたのか鳴き声が変になる。全く、飽きないやつだ。
 子猫の持ち方を手荒に見えるそれから両手で持ち抱える格好へと変える。人肌に触れるのが嬉しいのか、何の抵抗もなく子猫はすっぽりと納まる。
 子猫を撫でながら、すぐに来る別れを思う。
 この子猫の本当の主人になるのは自分ではないと分かっていたからだ。
難儀なんぎだな……」
 ネコは好きだ。それもかなり。でもずっと手元に置いておくわけにはいかない事情がある。このネコを拾ったのはすぐに分かれてしまうということが分かっていたからだ。
 右に曲がり、真っ直ぐな道を進んで行く。この道を選んだのは、勘だ。
 果たして、目的の人物はそこにいた。
 何かに打ちひしがれたように、がっくりと肩を落としている。周りの様子も目に入っていないようだった。
「ミャ。ミャア」
 ふところに入れていた子猫が体を動かす。当たりだ。
 子猫の声が届いたのか、すぐ目の前にまで近付いていた高校の制服を着た少年が顔を上げる。やはりこれ≠ノは気付くか。
 それからは特別な何かをすることもなく、すんなりと一緒にいることができた。
 ちょうどそこにあった数段の階段に腰を下ろす。
「ミー」
 だいぶリラックスした子猫が新たに使えるようになった声を出す。
「……」
「……」
 実は会ってからまだ一言も口をき 利いていない。共に無言で、寡黙かもくに時が流れるのを待つ。
「……やる」
 ぶっきら棒にこいつ≠渡した。
「ニーッ」
 抗議の声をあげるそいつ≠無視して押し付ける。途惑ってはいるがしっかりとこいつ≠受け取ってくれた。
「ポロ」
「え?」
 せめてものこととして、名前だけは勝手に決めさせてもらった。もっとも、完全にその場の思い付きで、自分自身何の脈絡もない名前だったが。
「名前」
 今はもう、自分とそう歳の変わらない少年の腕で落ち着いている子猫を指差す。
 度の入っていないメガネでこちらをじっと見てくる。頭が上手く回っていないようだ。
 とりあえずもうここにいる必要はない。これ以上ここにいて余計な面倒ごとを起こすのも好ましいことではない。本来なら、彼はこのネコと出会うのに誰とも出会うはずはないのだから。
 立ち上がり、何の言葉も掛けず背中を見せる。相手も何一つ声を掛けはしなかった。
 これでもう、こちらから干渉しない限りは関わることなどありはしないだろう。
「そういえば、あの制服は……」
 ふと、思い出す。あの制服は今度から行くことにした高校の制服だということを。
 もしかしたら、という淡い期待を持ち微かな笑みがこぼ零れる。余程のことがない限りは交差することがないと分かっていながら。
「見る≠ョらいはさせてもらうか」
 なんとなく、一目見て気に入った。理由はそれだけだった。そんな事を言ったのは。だから、思う。
 彼が近いうちに更なる不幸に見舞われると分かっていながら、祈る。
「同じ異能者≠ニして、心から願う」
 幸せが、いつか訪れることを。
「そろそろ、行くか」
 もうすぐ人払いの効果が切れるはずだ。この、世界というものが作り出した結界がなくなる。
 後ろを見てみると、ちょうど彼が子猫のいたところへと角を曲がるところだった。本当なら、そこで出会うはずだった一人と一匹。それを見届けて、やっと去ることを決めた。
 右手を顔の高さにまで上げ、パチン、と指を鳴らす。
 この街に住むどうということのない一人の通行人がそこに現れた時、常人では見ることさえ叶わない氷の華が空へと舞い散るところだった。








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